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待降節にキリストの再臨を思う ダニエル・コリンズ神父 |
待降節中のミサの福音朗読では、洗礼者ヨハネについての箇所が多く読まれます。ある意味で、洗礼者ヨハネが待降節の中心人物の一人であると言えるでしょう。 洗礼者ヨハネの使命は、主の道を整え、民衆に待望されるメシアを迎える準備をすることでした。準備をするからには、何がいつどこでどのように起こるか、どなたが来られるかを知っているはずですが、洗礼者ヨハネ自身もはっきりとどなたがメシアなのかわかっていなかったようです。実際、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」(マタイ11:2-11)とイエスに尋ねています。 洗礼者ヨハネが、メシアがどなたであるかわからずに、その方がいつどこにどのように来られるのかも知らずに、その方を迎える準備をしていることを私はいつも不思議に思いますが、この状況は現在のわたしたちと同じだといえるのではないでしょうか。 私たちが今待ち望んでいるのはキリストの再臨です。しかし、キリストの再臨が確実にやってくると確信していても、実際にはわたしたちにはそれがいつ、どこで、どのように起こるのか分かりません。キリストの再臨に向けて準備をしていても、何も分からないだけに、畏怖の念を抱いてしまうかもしれませんが、わたしたちはキリストに愛され、赦されている者ですから、恐れることはありません。 待降節は、約2000年前のベツレヘムの夜に思いをはせ、神の子の最初の来臨、つまりキリストの降誕のお祝いの準備をする期間ですが、その準備を通して、キリストの再臨に新たに心を向ける期間でもあります。キリストがいつ再臨されてもいいように、待降節に限らず私たちはいつも準備をしていなければなりませんが、待降節の期間はより一層希望を持って心の準備をしましょう。 |
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