ご復活おめでとうございます。そして入学、進級、就職、昇進、おめでとうございます。また遅ればせながら、何よりもカトリック信者にとり嬉しい、新教皇フランシスコ一世の誕生おめでとうございます。幸運にも新教皇と共に迎える我が国の新しい年度は、会計年度も学校年度も四月一日から始まる世界でも珍しい国です。この年度システムは、明治時代から始まったと言われています。
この季節に合わせて新たな出発、新たな門出、そして新しく生まれるすべての萌芽は、始まりを大切にする日本人らしい発想ではないでしょうか。寒かった冬から抜け出し、ぽかぽかした温もりを運んでくれる春のはじまりは、人も自然もみんな元気に動き始めます。また優しさと温もりを載せた春は、すべての人に夢と希望を運んでくれます。そんな嬉しい気持ちを祝福してくれるのが桜の花です。
桜の花は、今年も去年と同じように、否、去年以上に見事な花を咲かせ、見る者に感動を与えてくれます。桜が何も言わずに人々に感動を与えることができるのは、何も言わないから感動を与えるのかもしれません。しかし、桜は人から褒められようが、けなされようが、毎年、春が来たことを知らせます。また、その春とともにイエス・キリストが復活したことを人々に知らせることを使命であるように咲き誇ります。
誰が頼んだわけでもないのに、誰もお金を払っていないのに、素晴らしい花を咲かせ、人々の心を潤し、癒しと喜び、そして感動を運んでくれるのです。
"桜"、この花は小さな花の集合によって桜の木全体を包んでいます。一つひとつの花は小さいけれど、みんなが一つに集まれば綺麗な薄桃色の見事な花、見る人々に感動を与えるゴージャスな花になるのです。言い換えれば、桜は私たち共同体作りの先駆けとなり、その模範を示しているようです。
桜の花をよく観察して見ると、みんな同じではないことに気づかされます。小さな花も大きな花も、少し形の違う花も少し色のあせた花もあり、みんな少しずつ違います。それでもみんなしっかりと一つの枝につながり、また少し大きな枝につながって、そして大きな幹と大地に降ろした根に支えられ、その根源から生命の水を吸収し、綺麗な花を咲かせるのです。
私たちも桜の花と似ていませんか。み言葉を聞くために呼び集められ、主の食卓を囲んでしっかりとキリストのうちにつながり、キリストによって支えられ、キリストとともに神の愛を輝かせることによって、人々に慰めと喜びを運ぶことができる者になれるのです。しかし、たとえキリストにつながっていたとしても共同体から離れていては、誰にも気づかれることなく、一輪のままで終わるでしょう。
何もできない貧しい小さなたった一輪の花だけど、一人またひとりと大きく膨らんでいくほどに、神の愛をより鮮明に、より力強く、より深く、より優しく周りの人々にその香りを、その素晴らしさを届けることができるでしょう。
新教皇フランシスコ一世と共に、キリストによって。