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  「信 仰 の 対 象」
                                         ダニエル・コリンズ神父

 今年も早いもので、来月には待降節をむかえます。2000年前に人間の赤ちゃんとしてこの世にお生まれになったキリストを思い出し、その誕生を祝うのがクリスマスです。しかしその出来事は過去のことであって、もう一度キリストが赤ちゃんとして、現在の私たちの歴史に入ってくることはありません。

 2000年前に生まれたその赤ちゃんは、両親の愛に育まれ、健やかに成長し、人々に語りかけ、大勢の人を癒しました。その後、その方は人の罪を一身に背負って、苦しみを受け、十字架上で死に葬られ、復活されました。現在いらっしゃるキリストは、正にこの“復活されたキリスト”です。

 私たちは死後、天に帰って初めて神様に出会うと考えがちですが、実際には神様はもう私たちのところに来られているのですから、私たちはすでに神様に出会っているはずです。私たちは死んで初めて神様の恵みに与ることができると考えがちですが、実際にはすでに今その恵みをいただいているのです。

 ですから、私たちは、2000年前の過去のキリストでも、死後に出会うはずのキリストでもなく、今のキリストに会わなければなりません。福音を読むと、キリストはとりわけ、貧しい人、捨てられた人、嫌われた人の中にいらっしゃいます。しかし、そういった虐げられた人たちの中にだけおられるのでありません。どの家庭にも、どの学校にも、どの職場にも、どの町にも、神戸の街にも、この六甲教会にもいらっしゃるのです。私たちは人間ですから、キリストを実際に目で見て、触れることはできませんが、復活のキリストは必ずそこにおられます。どこででもお会いすることができます。

 将来に出会うキリストばかりを考えすぎて、今のキリストに出会っていても、それに気づかないでいることが多いのではないでしょうか。パウロは言っています:「形になっていないものが私たちの信仰の対象である」と。私たちの信仰の対象は、今の復活されたキリストです。形になっていないのですから、目で確かめることはできませんが、だからこそ信じるのです。それが信仰です。死後のキリストとの出会いのためにではなく、今のキリストとの出会いを求めて、目を開きましょう。心を開きましょう。そしてキリストに任せましょう

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