イースターが終わり、新しい勉強会が始まっています。私も、ヨハネ福音書を読む勉強会、ルカ福音書を読む勉強会、聖書を英語で読む勉強会、3つのクラスを担当しています。
それでは、みなさんは何のために勉強するのでしょうか? いつから、そしてどうして、聖書が勉強の中心的なものになったのでしょうか?
ヨハネ福音書に「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。(20章31節)」とあります。
福音宣教は私たちにとって大切な活動です。それでも、全世界へ行って福音を述べ伝える、というチャンスは少ないことです。それにもまして、自分自身の福音宣教をしている人は少ないでしょう。
では、どのようなことをすればよいでしょうか。「復活の証人」といわれた私たちです。証しをするために、何をはじめましょうか。
それでは、ゆっくりと神のみことばを味わってみましょう。聖書を読み、祈り、考え、想い、思いを廻らし、神のみことばを味わうことは誰にもできることです。ただし、勉強ではなく、知識を得るためではなく、自分のために、ただ信じるために味わってみましょう。キリストは、人々の信仰を見て、病人を癒しました(マルコ2章1〜12節)。自分の心の中に神を宿し、復活のキリストのことばを味わう ―― 信じることが宣教であり、生きることを身につけるためにも聖書に書かれていることばを味わいましょう。
ゆっくりと味わったことばを自分のものとして大切にしてください。もっているものを深めてください。自分の心の中で、そのことばの数々を生かすようにしましょう。
そうして、自分自身の福音宣教を始めましょう。