マルコ福音書の2章に、中風の病人を床板に載せてイエスのもとに運ぶ4人の男たちのことが描かれています。イエスはいつも、病人自身の信仰を見てその人を癒すのですが、このときは病者を運んできた男たちの信仰を見て病人を癒しています。彼らのうちにイエスが見た信仰とはいったいどのようなものだったのでしょう。
この4人の男性と中風の人の関係はよく分からないのですが、仮に病気のお父さんを連れてきた4人の兄弟と想像してみましょう。イエスという預言者が現れて次々と病人を癒しているという噂を聞いた兄弟は、長年病気で苦しんでいる父親をイエスに会わせたいと思って、父親を床板に載せて近隣の村からやってきました。しかしようやくカファルナウムに入り、イエスのいる家の前まで来ると、たくさんの人が中にいてとても入れそうにありません。
普通ならあきらめて外で待つとところですが、父親の苦しみを一刻も早く取り除いてあげたい、今すぐにでもイエスに会わせてあげたいという一心の兄弟は、知恵を合わせて全く思いがけない方法を思いつきます。天井から父親を床板ごと吊り下ろそうというのです。そのために、ある者は頑丈なロープをとりに家へ飛んで帰り、ある者は友だちから梯子を借りに駆け出していきます。こうして、今日読まれた聖書の場面が実現しました。
兄弟たちのイエスへの無条件の信頼と、父への深い愛によって一つになった心の中に、イエスはたぐいまれな信仰を見ました。イエスが病気の父親に向かって「あなたは本当によい息子たちを持った。これほどまでに愛されたあなたの罪はゆるされる」と語りかける様子が目に浮かぶようです。
この4人の男たちの姿に、わたしたち教会の果たすべき使命が示されているように思います。わたしたちの身の周りには、長い間病気で寝ている人、身寄りのない孤独な人、思うような仕につけず絶望しかけている人など、苦しみの中で助けを求めている人たちがたくさんいます。その中には、もはや自分の足で歩いてイエスのもとに行く力さえ失った人もいるでしょう。神の前にわたしたちの兄弟姉妹であり、家族であるその人たちを、心と力を合わせてイエスのもとに運び、癒していただく、それこそ教会に集うわたしたちに与えられた使命なのです。四旬節に当たって、もう一度この使命をしっかり心に刻みましょう。