今年も残りわずかとなり、キリスト教会は待降節に入りました。クリスマスには幼な子イエス・キリストをお迎えし、その誕生をお祝いします。
2011年前、ベツレヘムという場所に、神様は幼な子イエス・キリストを通して、突然、人類の歴史の中に現れました。神様はなぜ「その時」「その場所」を選ばれたのでしょう。また、なぜわたしたちと同じ人間として現れることを選ばれたのでしょう。しかも無力な人間の赤ちゃんとして。
「全知全能の無限の神様が限りのある赤ちゃんの形で自分の姿を表された。」これはいくら考えても人間には理解できない、正に「神秘」としか言いようがありません。キリスト教信仰の中心は、キリストの死と復活であることは間違いありません。しかし、今や信仰のあるなしにかかわらず、クリスマスは世界中で盛大に祝われ、幼な子イエス・キリストの誕生がたくさんの人々の心の中に大きな存在として位置づけられていることも事実です。「復活のキリストは、いつも我々とともにおられる」と私たちは言いますが、実際の生活の中では実感しにくく、分かりにくいことも確かです。しかし、赤ちゃんのイエス・キリストを想像した時はどうでしょう。笑ったり、泣いたりする赤ちゃんの姿を思いうかべると、その存在が急に身近に感じられ、あやしたり、一緒に遊んだりできるような気がしませんか。
これこそが神様の愛の表れではないでしょうか。赤ちゃんの姿を通して、神様の愛が私たちに示されたのです。わたしたちにわかりやすいように、幼な子の姿を通して、人類の歴史に入って来られたと言えるのではないでしょうか。
神様の愛が具現化されたイエス・キリストの誕生を迎えるにあたり、その愛に思いをめぐらし、感謝して、みんなでクリスマスを心からお祝いいたしましょう。