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                     祈り
                                      コリンズ神父  

 灰の水曜日が過ぎて、イースターへの準備の期間が始まりました。もちろん、伝統的に犠牲を払うことは大切なことです。しかし単に、「チョコレートを我慢する」「この期間は映画を見ない」といったことは、少し時代遅れのように感じます。「断食をする時には顔を洗い、ニコニコする」といったことは、ショーアップされたことのように感じます。
 今年はもう一歩踏み込んで「何かをしよう!」と呼びかけたいと思います。積極的に四旬節を過ごすにはどうすべきでしょう? 私は、答えは祈りの中にあると考えています。祈りの中で出会うイエスは、私をどう導いてくれるか。静かに待ちたいと思います。

 私の歳になると、死は現実的に近くなります。しかし、復活のキリストと共にいる意味は、正直なところ、本当にはわからない。3月半ばに、イエズス会の同級生の神父の命日が巡ってくるのですが、今年は彼の経験した復活の意味を私も体験したいと思っています。死ぬことは過去のことであり、感じているのは現在を生きるキリストです。それは祈りを通してわかることです。
 しかし、本当の復活の意味は何でしょう? 聖書の中のできごとだけではないはずです。現在を生きるキリストと出会う、それを感じたい。歴史的なキリストではなく、苦しんでいるキリストではなく、復活をしたキリストとの出会いを深く味わいたい。祈りましょう。

 どう祈っていいかわからない、との声を聞くことがあります。
 決められた祈りを唱える。これは一番簡単な方法です。それでも祈りを終えるときに、「今、何をしたのか?」をしっかりと受け取ってください。
 それよりも、毎日のできごとの中で、様々なことに出会うキッカケがあるのに、その機会を充分に活かしていないことに気づいてください。一日を終えるとき、その日をゆっくりと味わってください。それも祈りです。
 そうして、祈りとは静かに時間を取るだけではありません。毎日、いつも、いつでも呼びかけられている神様の声が聞こえていますか? 呼びかけられているその時に気づいていますか? この敏感さを養うことこそが祈りです。
 そして毎年、結局は同じことを思い浮かべます。手放しで自分自身を神様にあけ渡しましょう。その時、初めて神様の呼びかけが聞こえてくるでしょう。
 さぁ、しっかり祈りましょう。

                                       

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