当時26歳だった私は、これから始まるイエスとの新しい世界に心をときめかせて、神妙な面持ちで霊的母の前に座っていた。その時、静かに手渡されたのがこの本である。彼女は言われた。
「まず、これをお読みなさい。ここに書かれていることは、霊的生活の"基礎"であり、"到達点"でもあるのですよ」と。 日本語訳は1905年に、まずプロテスタントの出版社から出された。
著者は1614年生まれのカルメル会士だ。彼の魂は神の単純さをまとい、純潔な霊性によってその香りを放っていた。いろいろな霊的著述家が、その著作の中で彼のことばを引用している。
彼は司祭の生活を助ける「助修士」の身分だったので、修道生活の大部分の時間を料理や買い出し、靴製造などの務めの中に過ごしていた。彼は、ただ一つの修行「神の現存」に励み、愛深く、楽しく、神との親しさのうちに生涯を送った。彼は「神を愛するために創られた私たち人間」が、その目的に適うための最短、最強の道を教えてくれる。本著の序説・霊的訓話・談話・手紙は、そのノウハウや心構え、彼自身の体験を明かし、私たちを励ましてくれる。
家事・介護・育児・仕事・奉仕活動などに追われる日常も、「神を愛せない」「祈りが深まらない」理由にはならない。かえって「神の現存」、すなわち「今、ここにおられる主において、主とともに、主のうちに生きること」を深めることによって、あらゆる営みが「イエス・キリストと愛し合う時間」となることに気づかされる。今回読み返しても、反省と憧れが再燃し、私自身一からやり直す必要に目覚めさせられた。
神の子として「自由に単純に清く生きたい」「忙しい毎日の中でも、神を愛したい」「初心に戻りたい」と感じておられるすべての方にこの本をご紹介したい。
彼はある手紙の中で次のように記している。深く心にとめて、味わいたい。 「神とともにいるためには・・・私たちの心を祈祷所にして静かに、謙遜に、愛深く、神とともに語るため、時々そこに退くことができます。・・・勇気を起してください。私たちに残された生命は、もう短いと思います。・・・神とともに生き、神とともに死にましょう。神とともにいる時は、苦しみも、常にいっそう甘味で快いものとなりましょう・・・・」 (古泉)