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図書紹介
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南部盛岡藩を脱藩し、新撰組隊士となった吉村貫一郎は、実は、義と愛を貫き、「南部の桜は巌(いわお)すら砕き咲く」を絵に描いたような、誠の南部武士、義士であった。吉村貫一郎という一人の人を色々な人に語らせることにより、その人物像を浮き彫りにしている。「南部の子だれば、石ば割って咲げ」などの方言での語りは、情景や情感を何とも盛り上げる。死を目前に、遠くにいる妻と子や冥府の父母との対話のシーンは、涙溢れて止まらない。
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著者は外科医である。しかし53歳の時に「導かれて」神主になり、現在は奈良の春日大社の宮司である。神道に於て神を信じるとはどういう事か、日本人の本来の姿とはどういうものかなど、
とてもわかりやすく対話形式で書かれている。『罪』の意味は、表音文字である日本語からは、 「体を包む」ことである。中国から伝わった漢字で「罪」と書くから悪いことをした事などと思いがちだが、本来の意味は、「神様からのすばらしい体を包んで隠してしまう」ことだという。
また「穢(けがれ)」とは汚いと言う意味ではなく、『気枯れ』であり、我々を生かしてくれる神様の気を枯らしてしまうこととある。 |
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