主のご復活、おめでとうございます。
死の苦しみを乗り越えて、イエスは永遠の命へと移されました。復活を祝うとき、イエスが経験したすべての闇、すべての孤独、すべての苦悩は、復活の光、希望、喜びが輝き出るためにあったのだと、はっきり分かります。イエスの復活は、人間が味わうすべての苦しみが、神のもとで永遠の喜びとひとつに結ばれていることを明らかに示しているからです。復活の光を当てられたとき、すべての苦しみは喜びとなり、すべての闇は光に変わります。復活の光の中で、私たちキリスト教徒は人間が味わう苦しみの意味を深く悟り、生と死を超えた人生の意味に気づくからです。主の復活は、まさに全人類の救いの源であり、私たちの人生の意味そのものだといえるでしょう。苦しみも含めて、私たちが日々の生活の中で味わうことのすべてが、永遠の命、神のもとでの永遠の喜びと不可分一体に結ばれているという事実こそ、私たちの人生は神の永遠の命と結ばれ、死によっても消えることのない不滅の意味を与えられるのです。
この喜びのときを、六甲教会のみなさんと共に過ごすことができる恵みを、神に心から感謝します。復活したイエスは、今このとき、六甲教会に集うみなさんの中に生きているからです。復活したイエスの姿を見ることはできませんが、六甲教会に集うみなさん一人ひとりの中に、生きているイエスをはっきりと感じることができるからです。私はこれまで長いあいだ神学生としてイエスのことを勉強してきましたが、今こそイエスが誰であるのかを本当に知ることができるのでしょう。みなさんの中に生きておられるイエスこそ、私が勉強してきたイエスそのものだからです。六甲教会のみなさんとひとつになって主の復活を祝うとき、私は生きたイエスとひとつになることができるでしょう。
これからこの教会で働かせていただく恵みを、神だけでなく、みなさんにも感謝したいと思います。助祭は主の食卓に奉仕するための役務であり、主の食卓に集うみなさんにひたすらお仕えすることが私の使命です。どんなことでも私に言いつけ、命じていただきたいと思います。そのままイエスへの奉仕であり、イエスへの奉仕は喜び以外のなにものでもありません。どうぞ、よろしくお願いいたします。
助祭 片柳 弘史