今年もクリスマスや新年のときを迎えることになりました。釜ヶ崎の地域では早くも12月初旬からクリスマスの歌が朝市のいたるところから流れてきました。釜ヶ崎でもクリスマスの雰囲気が些細なことから伝わってきたなあと感じました。
さて、一般の社会ではどうでしょうか。人々はどのように「救い主であるキリストのご降誕」を記念するのでしょうか。ある人にはクリスマスの祝いを準備するために自分たちの娯楽の予約をしたり、旅行や会食、プレゼントを期待し楽しんでいますが、一方で、そのような環境に恵まれない人は、一日一日を一生懸命に生きるだけで精一杯で、しかも、不安や苦しみなどを抱えながら、自分の人生をどう向上できるか分らない境遇を強いられています。「希望と平和の君であるキリスト・イエス」を迎えるのに自分たちが置かれている環境から抜け出すチャンスが与えられていないからです。
私の居ます旅路の里では、幸いにこの地域におられる労働者・野宿者とともに今年もクリスマスを迎えることができ、次の一年をより幸福で、よりいのちの大切さを確かめ、「低みからかがやく神の栄光」を称えることができます。神様に感謝し、恩人の皆さまに感謝いたします。
高山 親神父
天にみなぎる神の栄光は
地の低いところ、
貧しさと闘う人々からかがやき出る。
痛みを知る仲間たちこそ、
世に平和をもたらす者。
父である神さま、
わたしたちはあなたをたたえ、
あなたに感謝します。
低みから立つ者とともに
はたらかれる方(キリスト)、
あなたこそ「世の罪」、
抑圧と差別をとりのぞく神。
あなたは、わたしたちの苦しみ、
さびしさ、不安、くやしさ、怒りを、
身をもって知っておられる方。
わたしたちに勇気とちからを
与えてください。
仲間たちを立ちあがらせてくださる
あなたこそ、聖なる方、
ちからある方、ほんとうの神。
あなたは全てをご自身と一体のものにして、
聖霊とともに、
父のもとに向かっておられます。
アーメン
(労働者のミサより)