|
||||||||||||||||||||||||
永遠なる神よ! |
今目の前で読んでおられる『教会報』は第427号ですね。第二バチカン公会議後、信徒の役割が大切にされ、また家族・友人・知人への拡がりを願って、この教会報が誕生したと思われます。教会そのものは1948年(昭和23年)12月に当地に移転し小教区として認可されて以来、来年で60周年を迎える訳ですが、「教会報」は合併号や休刊の月もあったためか、計算すると約40年間になります。初版の第1号をお持ちの方は、額などに入れて家宝にされているかも知れません。しかし、現在の毎号毎号も孫や曾孫の時代になれば値が付けられない(?)程の貴重な遺産となり、主の栄光と人々の救いのために捧げた私たちの愛と信仰の業が末永く受け継がれて行くことでしょう。 私個人は1970年2月発行の第17号教会報を後生大事に保管しています。と言うのは、会社を辞しイエズス会に入る直前、“司祭志願”という題で記事を依頼されたからです。その中で、長い間迷っていた司祭召命について、次のような想いを書いています。「神様はしつこい方であり、最後は人間が負ける。永遠への憧れと平安のうちに負けてしまう・・」と。自分の決断については、「如何なる人にも人生は1回限りでありながら、多くの可能性が与えられている。しかし、人間には永遠に通じるような決断と選択があっても良いのであり、また無くてはならないだろう」と。その後相次いで二人の兄と両親、義兄姉、親友など愛する方々を見送りましたが、その度に故人との絆は深まり、永遠への確信を抱くようになりました。同時に、人との出会いや別れも、喜びと苦しみの入り交じった人生全体も、人間には知り尽くせない“神秘”であると感じるようになりました。イエズス会に入って間もなく、或る邦人司祭がヒマラヤ山脈の麓にある障害児の施設に派遣されました。ネパールのイエズス会からの要請に自ら志願されたのですが、それから35年が経ちました。私は時折、この80歳を超えて今もネパールの人々を愛し子供たちの世話を続けている先輩会員を尊敬の念をもって思い出します。またこの春には、或るシスターに20年振りにお会いしました。明るくお元気なシスターですが、開口一番「これからブラジルの農村に参ります」と。「え・・! シスターのお歳で?(失礼!)言葉は大丈夫ですか?」「いいえ。・・心は若い積もりなので、私でも何かの役に立つそうですよ。」私たちは異口同音に、“次にお会い出来るとすれば天国ですね”と言ってお別れをしました。 ネパールで働く司祭もブラジルに派遣されたシスターも、この地上どこにいても神様が一緒にいて下さるので安心! という信仰を生きておられるのでしょう。そして、永遠を確信しておられるのだと思います。「すべてのものは過ぎ去り、そして消えて行く。その過ぎ去り消え去って行くものの奥に在る永遠なるもののことを静かに考えよう。」これは故武宮神父の辞世の言葉です。人間とは何、私とは何、目に見えるこの世界、この宇宙とは?
頭でいくら考えても、分からないことばかりです。 六甲教会で働くのと、ネパールやブラジルで働くのと一体どちらが幸せか? どちらが困難か?
それも分かりません(多分、六甲のほうが・・?)。ただ、どちらも永遠に通じていることだけは確かです。日々“永遠なるもの”に心を向けると、最近ベストセラーになった「鈍感力」(渡辺淳一著)以上の恵みが与えられるでしょう。鈍感力(イヤな事は忘れる、前向きに、のんびりと・・等)も良さそうですが、永遠志向はそれにも勝って、神様につながっているという嬉しい信仰の実感なのです。
桜井神父
|
|
六甲教会について お問い合わせ |
(C) Copyright 2002 Rokko Catholic Church. All Rights Reserved. |