ザビエルが日本を離れて後、滞在したマラッカからこの本は始まります。この地で次なる宣教地中国を目指して準備を進めるザビエルを次々と襲う悪意に満ちた出来事、弟子の裏切り・・・。
ザビエルの弟子とは、まずエリート神学生であったフェレイラ、最初の日本人宣教師となったパウロ・ アンジロウ、そして最後までザビエルに付き添ったと言われる中国人の老神学生アントニオですが、
これらの人物が現実と超現実の世界で、能の舞台に現れるように会話を交わします。このせいか、描かれているザビエルの苦境も含めて、この本はどこか不思議なモノトーンのような静ひつさを醸し出しています。
クライマックスは、死期の迫ったザビエルがサンチャンの浜辺で、日本を追われて寧波で処刑されたアンジロウの霊、ついてイグナチオの霊と語り合う場面です。「日本の聖人」と言われたザビエルが、日本での宣教に成功したとは言えなかったのは何故か?土着の宗教(仏教)との対話の足り無さをアンジロウは指摘し、ザビエルも受け入れます。「戦う教会」はその後の凄まじいキリシタン弾圧政策によって、日本では挫折したようにも思えます。しかし、一見挫折と失意の
連続であったザビエルの生涯が、実はイエスの生涯をなぞるものであったことが簡潔な文体の中に読み取られます。この本を元に様々に思い巡らせることができそうです。
先般、上智大学のキリシタン文庫が関係して「キリシタン版精選」という日本最古の印刷物が復刻されたそうです。ザビエルの列聖式に立ち会った唯一の日本人イエズス会士、ペトロ岐部と187殉教者の列福の年にも
あたる今年はキリシタン年になるのではないかと思い、この本を紹介させて頂きました。
(久野万里子)