皆さま 明けましておめでとうございます。新年のお慶びを申し上げます。西暦2006年・平成18年という新しい年が平和な年になり、皆様とご家族・ご友人お一人お一人に神の祝福が豊かに注がれ、心身すこやかで幸多からんことを心から祈念致します。
さて新年に当たって、主キリストが最も大切な第一の掟として教えられたことを思い起こしましょう。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』という掟です。これが第一の掟であるということは、人間に対して強制力をもって命じられた義務のようなものです。通常、愛は掟でなくもっと自由でかつ心から出てくる自発的なものですが、イエスには「神様を大切にすること」が地上を旅する人間にとって最良の生き方であり、これ以上に価値のあることは無いという確信がお有りだったと思います。だから、これは掟ですよ!と仰言っているのでしょう。イエスご自身も生涯をかけて父なる神を愛し、人々にその天地の主なる神を指し示されたと思います。
イエスが引用された申命記6章には、具体的な教えが続きます。『私が命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っている時も道を歩いている時も、・・これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい』と。当時のイスラエルの人々にとって、自分たちの命を救って下さった神は大恩人であり、どんな人よりも如何なる物よりも優先して大切にすべき方だったのです。イスラエルが宗教国家だったとは言え、日々の生活の隅々に至るまで神様を大切にしたことは、現代の私たちには驚くべきことではないでしょうか。しかも、多くの日本人が神様に無関心な時代ですから、もし私たちがこの掟を耳がたこになるほど子供に言い聞かせたり、街頭で人々に語ったり、紙に書いた掟を腕時計替わりに手首に付けて度々読んだり、額に張り付けて道を歩いたり、自宅の門柱に書き記したりするならば、ひょっとすると人々は「奇特なお方ですね」と拝みながら供え物や献金を置いて行かれるかも知れません。或いは、「病院に行ったほうが良い」と言われるかも?いずれにしろ、大変な勇気がいることです。しかし、『心を尽くして神を愛する』とは、実は誰にでも出来るもっと易しいことなのです。
即ち、(1) 神様と親しくなる:遠く離れている家族や友人を想うように、天国にいる故人を偲ぶように、永遠なる天の父に想いを馳せる。一日は24時間しかなく、したい事すべき事が山程あって足りないくらいですが、その貴重な時間のいくばくかを神様のためだけに使う。それこそが祈りだと思います。しかも、家に座っている時も道を歩いている時も、神様!とか 主よ!
と親しく呼びかけることは出来るでしょう。
(2) 喜んで生きる:両親の愛を通して無償でいただいたこの命・この人生を喜び味わい、日々出会う人々と共感し、神が創造された此の世界に感動し、時には耐えがたい哀しみに泣き叫びながらも神の救いに希望しつつ生きていくことは、命の与え主である神様への大きなご恩返しではないでしょうか。
(3) 神様のことを語る:これは少し難しいことかも知れませんが、家庭で子供と一緒に祈ることから始めましょう。神様をやさしい言葉で伝える良い練習になると思います。
(4) 感謝する:私の人生に起こる全てのことを神の計らいとして受け取るなら、また一緒に生きている優しい家族や友人も全て神がめぐり逢わせて下さったと信じるなら、自然と感謝の念が湧いてくることでしょう。教会共同体は日々心を合わせて「感謝の祭儀」を捧げ、神様を最も大切にしているのです。
桜井彦孝神父