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“訪  れ”

 日常生活は“訪れ”の連続です。待降節の始まりも天使の訪れ、聖母マリアのエリザベトの訪問と続きます。そしてその時には言葉の交換が行われます。言葉は人々をつなぐものです。言葉のやりとりでコミュニケーションを図り、社会や共同体、家庭の中の人間関係を作っていきます。

 漢字の好きな私は“訪れ”という文字がとても意味深く思えます。言葉がこの方よりあの方へ、あちらからこちらに行き交うのです。人と人が出会い言葉を交換する、という重要な“訪れ”という意味を見出せます。

 様々な“訪れ”を感じられる待降節のこの時期に、言葉の扱いがどうなっているか、日々言葉をどのように使っているかを振り返り、言葉の大切さを見直してみましょう。

 イエスの誕生は、神と人が具体的に結んだ関係です。人間性に美しいものが宿り、緊張感を持って、神聖なものとなり、その“訪れ”は神のものとなります。マリアに対する天使のお告げ、エリザベトを訪問するマリアの行動、その“訪れ”はいつもとは質の違う、生活が明らかに変わってしまうようなものでした。その結果、イエスの誕生があります。

 私達の中の美しいものに働いて、神さまは私達の生活に訪れて下さいます。毎日の生活の中の“訪れ”、それに気づいているでしょうか?心を神に向けて、その“訪れ”に対し準備ができているでしょうか?思いを込め、言葉を尽くし、神の“訪れ”を待ち望む祈りをしているでしょうか?

 神に向うと同時に、私たちは社会の中で生活をしています。そして、社会的な役割を担っています。その共同体の中にも常に“訪れ”はやってきます。そして、お互いに関係を築くことで、社会は成り立っているのです。人は互いに手助けをし、協力し、支えあい、お互いの関係を完成していくものです。

 日々の小さな“訪れ”、昨日とは違う自分で共同体へ参加する“訪れ”、朝とは少し違う自分となって家へ戻ってくる“訪れ”の中で、自分の思いを言葉として、周囲の人に伝えているでしょうか?それは皆さんがイエスの“訪れ”を告げる宣教となっているでしょうか?GOSPELのこもったGOOD NEWS、まさに福音と呼べる言葉の伝え主としての役割を果たしているでしょうか?

 一年のうちで、もっとも素晴らしいニュースが届くこのクリスマスを前に、静かに祈り、人々を“訪れ”ましょう。

God bless you.

祈りのうちに

バレンタイン・デ・スーザS.J.



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