皆様、明けましておめでとうございます。新年のお慶びを申し上げます。平成17年・西暦2005年という新しい年を迎え、皆様とご家族・ご友人お一人お一人に神の祝福が豊かにあり、心身すこやかで幸多からんことを祈念致します。地上の歴史・人類の歴史に、また新しい一つの時が刻まれました。その新しい時を厳粛に受け止めながら、慈しみの神に信頼と希望をもって歩みを始めましょう。特に今年は、忘れもしないあの歴史的な大惨事(阪神・淡路大震災)の10周年を迎えます。どうか私たち教会共同体・神の家族が互いに愛をもって支え合うことが出来ますように! 共に祈りながら、主なる神への信仰を深める年でありますように! 幸せな家庭が築かれ子供たちが健全に成長しますように! 病者・高齢者が暖かい世話を受け大切にされますように! 厳しい試練の中にある人々が必要な助けと励ましを受けることが出来ますように! そして、今年こそは平和な年・平和な世界でありますように!
との切なる願いを込めて新年の歩みを始めたいと思います。
「一年の計は元旦にあり」。その元旦の朝、教会は「神の母マリア」の大祝日をお祝いします。マリアは受胎告知を受けた時、これから一体どんな運命が待っているのだろうか?
と不安や戸惑いで心が乱れたことでしょう。馬小屋での幼子誕生、野宿していた羊飼い達の来訪、東方からの博士達の訪問、ベトレへム周辺の幼児たちの虐殺、家族三人でのエジプトへの逃亡、ガリラヤ地方・ナザレでの定着など不可解な運命に流されていく日々が続きました。そして、「この幼子は多くの人の反対を受けるしるしとして定められ、母親自身も剣(つるぎ)で心を刺し貫かれるでしょう」という預言さえ受けました。これは一体何事かしら?
何故こんな事が起こるのかしら? 困ったわ、どうしたら良いか分からないわ!とパニックにはならなかったようです。マリアは"お言葉通り我になれかし!"と祈りながら、これら全ての出来事を心に納め、思い巡らしておられた。そして、我が子の十字架上での死を見届けるまで、静かに祈りながら付き添われたのです。即ち、波乱に満ちた地上のドラマが我が身・我が子の身辺で次々と繰り広げられていく中にあっても、聖書はマリアに沈黙を守らせています。マリアにとって必要なのは、祈りであったという事ではないでしょうか。彼女にとってどれ程信仰が必要であったか、どれ程神への信頼が必要であったか、それは沈黙のうちに祈る彼女の姿を見る時に分かってきます。
私達も、人間的な考えやおしゃべりを一度中断したいと思います。もし常に中断できる方がいれば、既に聖人になっているか、或いはもう天国に召されている方でしょう?
私達地上にいる凡人としては、せめて年の始めぐらいは本気になって、創造主なる神・全能永遠なる神に静かに祈りたいと思います。「我々はどこから来たのか?
我々は何者か? 我々はどこへ行くのか?」と自問しながら・・。因みに、この問いは20世紀初頭のフランス人画家・ゴーギャンが人間の生と死を象徴的に描いた遺作の題目でもあります。私たちが天国に召された暁には、此の世で曖昧もことしていた神の大いなる栄光も人間存在と人生の意味も全てはっきりと分かるのでしょう・・。忍耐、忍耐! しかし地上を旅する間は、マリアのように、心を静め耳を澄まして神の思いを聞き取りたいと思います。そして、"お言葉通り我になれかし"と祈ってみましょう。人間のまことの幸せは、神への信頼の深さによっていると思います。「神は万事を益となるように、共に働いて下さるのです(ローマ8章)」。
桜井神父