イエスの生き方とミッションを知ることによって、イエスの姿が少しずつ私たちの心の中に深く刻まれるようになるでしょう。今月は、もう一歩進んで、3年間にわたって様々ないやしを行なったイエスの業に触れますが、それはただ単に見るだけではありません。又、イエスのいやしの行いは宗教的な規則や儀式に従い、限定されるものではありません。むしろ、イエスのいやしは、多くの人々の心に深く触れる行いです。それは、愛から出てくるものだからです。
イエスの愛の力は苦しんでいる人々の心に深く浸透し、彼らと苦しみを共にすることによって、中風の人々がなぜまひ状態になっているか、目の不自由な人々がなぜ視覚を失っているか、皮膚病の人々がなぜ触覚などをもてないのか、そういった人々の不自由さの原因を見出します。そのいやしの力は彼らの状態を理解し、彼らを抱くことによって行なわれるものです。したがって、イエスのいやしは外面的な病気をいやすより、人々の心の底の触れられない「傷」、堅苦しい心、暗闇の中に隠されている自己拒否に触れて、人々の心を解放するものです。
イエスが人々の打ち砕かれた状況を理解し、彼らを愛するからこそ、彼らは良くなりました。彼らの元気な姿はイエスの愛の望みです。だから、中風の人に対して、イエスは「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われました(マタイ9:2)。
【聖書の参照】イエスのいやし(マルコ2:1-12、マルコ5:25-34、ヨハネ9:1-12、又は1-41、マタイ8:14-17、マルコ5:1-20、7:24-30)