「遠い朝の本たち」
須賀敦子著 文藝春秋社
初めて須賀敦子の本に接したのは「コルシア書店の仲間たち」だったろうか。この本の舞台「コルシア書店」というのは、ミラノにあった、当時「カトリック左派」と言われたグループの拠点でもあった。時代は1960年前後。まさしく第二ヴァチカン公会議の直前である。著者は後にこの書店を取り仕切っていたペッピーノと結婚する事になるが、その書店には色々な人が集まってくる。著者の人物を見る目は大変暖かい。例えば、この書店の発起人とも言える神父。大聖堂でインターナショナルを歌って、ミラノ司教から、政治運動にかかわりすぎるとして追放されるのだが、著者はその神父を詩人でもあり、大変人間的な暖かさを持つ人物として描く。彼女が街を描くときも、その目は暖かく、街の空気までも感じられる。須賀敦子のファンは大変多い。
さて、この本から感じられたのは「懐かしさ」であった。その後、彼女の著書を片端から読んだが、どの本からもそれは感じられた。
須賀敦子は1929年武庫郡精道村の生まれ。小林の聖心から東京の聖心女子大学を卒業し、イタリアに留学する。先に述べたようにイタリア人と結婚するが、わずか5年余りの結婚生活の後、死別。帰国し、慶応大学、上智大学などで教鞭をとるかたわら、文筆活動にいそしみ、イタリア文学の邦訳、日本文学のイタリア訳などにも名著がある。日本語で書かれたものはほとんどがエッセイであり、雑誌に連載されたものなどが多い。徹底的に文章に磨きをかけることは有名で、日本語は大変美しい。
どの本をお読みいただいても決して期待を裏切るような事はないが、今回は身近な阪神間の描写も出てくる「遠い朝の本たち」をご紹介したい。人生のなかでめぐり合った人々の思い出を読書にからめて描いたエッセイ集である。そこに描かれているのはそれらの人々への感謝であり、それは神への感謝のようにも思える。私にはそれが信仰の故郷と思え、そこに懐かしさを感じるのであろうか。後日、大原富枝の「風を聴く木」の中に、須賀敦子の「ミラノ 霧の風景」について、「一読なんとも言いようのないおだやかなやさしい心持に導かれてゆく本です。(中略)こんな懐かしい本にめぐり合えるのだから…」と言う文章を見つけた。「懐かしさ」を須賀敦子の文章に感じられた人を発見して嬉しく思ったことでした。
最後に、須賀敦子は神戸では暁光会でおなじみのエマウス運動に学生時代から深くかかわっていた事を付け加えておきたい。
(桐原康多)
【お詫びと訂正】
先月号の図書紹介でご案内しました図書の著者であるシスターのお名前を間 違えておりました。正しくはシスター・ノエミ亀崎です。ここにお詫びして訂正をさせて頂きます。
(広報部)
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