社会とどう向き合っていくかは、様々な歴史的、文化的、政治的諸条件を十分に配慮する必要があるだろう。教会の一員としては、神のみこころに沿う生き方、そのとき正しいと思える行動を取るべきだが、非常に難しいことだ。それはその人その人の立場があるからである。どの立場の視点によるかで、物事の捉え方が変わってくる。何が真理か?誰もわかることの出来ないことかもしれない。だからこそ神の声に耳を傾けることが大切だと感じている。
今、私たちに出来ることは、どのような問題(紛争、差別、貧困、人権等々)に対しても、一人一人が互いにつながりを大切にすることだろう。それは、まず身近な一人一人の顔をみることであり、自分に起きた出会い(良い出会いも悪いと感じる出会いも)について、その意味を深く噛締めることではないだろうか。そして、それぞれの人の立場にたってものを見る豊かさにつながると思う。そこから自ずと、諸問題に対して何が出来るか、何をすべきかが見えてくるように思えた。
阪野
「迷いやとまどいを除き、確りとした視点で考え乍ら活動するきっかけを得る機会にしたい為に企画した。」とのコーディネーターの挨拶で始まった講演会。松浦司教様は、「皆さんと一緒に"平和について考えるチャンス"を頂き、とてもうれしい」と語り出された。
この"今"と云う時代に、責任ある者、生きて共に歩んでいる者としての、私達ひとりひとりが"本当にこれで良いのだろうか"と考える機会になれば素晴らしいと思う。教会がなぜ社会活動に関わるのかと云う根本的な問題、教会員としての立場もあるが、世界の、日本社会の一員として、どの様に歩んでいくかは大きな問いかけである。昨年、平和旬間に"本当にこの道でいいのでしょうか?"と云うメッセージが社会司教委員会から出された。未来を担う子供達、将来を視る人達の為どの様な社会、世界を提供出来るかを考え乍ら、今の動きを選び、歩んでいるだろうか。否。多くの人達は分からないままに流されて生きているのではないか。それもひとつの選びであるのかも知れぬが、その生き方には大きな危機感を覚える。この事も含め、皆さんと考えてみたい。」と冒頭から熱く話し出された。
教会と社会は分離していても機能はするし存在もし得る。だが神が命をかけて教えて下さった"互いに愛し合いなさい"と云う神の命とも云えるこの"人と人との関係"が守られない社会構造は福音的に変えていかねばならない。神のみことばに耳を傾け乍ら本当に人と人とが愛し合える社会に変わって行ける様に、教会はその為の道具になりなさいと、公会議でも述べられている。聖書にも神の厳しさが、又、イエスも神殿から商人を追い出された、と行動しておられる事が書き記されている。その行動のひとつとして"ピース9"の動きがある、と話された。今の世界の状況でこの問題は非常に関心も高く、又、9条問題は各々に考えも違い、長めに設けられた質疑でも活発に意見、質問が飛び出し、終了後、会場をホールに移してからも、5時頃迄議論が交わされた。
本当に難しい問題、間違えばどの方向に迷い出るか分からない問題だが、こんな時にこそ、みことばに従い、ベロニカの様に勇気を持って行動出来る人でありたい。あらねばならぬと考えさせられた。本当に"今"と云う大事な時に良い刺激を与えて頂けたと胸が熱くなった。充実した一日であった。司教様、長時間本当にありがとうございました。
(社会活動部)