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主任司祭より(4月)

[主の復活と永遠の命への想い・・・] 
毎年桜の季節になると、芭蕉の俳句が頭に浮かんできます。
「さまざまな こと思い出す 桜かな」。
桜花というのは短い命なので益々風情があり、その美しさたるや此の世のものとは思えない程です。五分咲きであれ、満開であれ、散り際であれ、桜を眺めていると、恰も自分の人生の各場面を写し出しているかのように感じられます(今はどの辺り?)。そして、過ぎ去った昔のことや家族・友人・知人のことなどを思い出します。今頃は何処でどうしておられるのだろうか・・、次にお会いするのは結局天国になるのだろうか・・と。本当に、さまざまなことが走馬燈のように胸中を駆けめぐります。個人的なことになりますが、私は西宮で生まれて間もなく家族全員で岐阜県は大垣の田舎に疎開しました。木曽川の支流に沿った所でした。♪♪兎追いし、かの山。子ブナ釣りし、かの川・・♪♪ 戦後しばらくして六甲に引越し、小学生の時から世捨て人になるまでの約20年。学生時代のアルバムをめくって見ると、友人や先生方に対して感謝の一言に尽きてしまいます。修業の道に入ってからと云うもの、父母が生きていた時には、何かと用事を作っては神戸に立ち寄っていましたが、その後は風来坊になってしまいました。それでも人間というのは、両親のことをどうしても忘れることは出来ませんね。特別に深い縁でつながっているのでしょう。何処で何をしていようとも、散り行く桜を眺めていると、何故か父母の面影がハッキリと甦ってきます。しかも、良い思い出ばかりです。それは、父母が救われて今は天国にいることの確実な証拠だと信じています。
母は15年近くも看病してきた長男が病死した時、くずれおれるように倒れてしまい、これから一体どうなるかと案じましたが、短歌を詠んでは生きる力を願っていたようです。魂の叫びのようでした。「人間の命とは何死とは何 問えども問えども空は答えじ」「陽の照りて照りてかなしく曇り日は さらに悲しく子の逝きし日々」。そして次第に、信仰の境地に入っていったと思います。「形を伴って共に過ごした時の絆はなかなか薄れないけれども、心の底には再会を疑わない確信ができました」と言っていたことを今でも忘れることは出来ません。その5年後に私は司祭叙階の恵みを受けましたが、長年の神学校生活で疲労困憊。それでも、母はこのような短歌を詠んでくれました。「業を終え司祭となりて帰り来し 子と語らえば春の日うらら」。そして、翌年には他界しました。拙ない短歌が紙面に出て、今頃天国で苦笑しているかも知れません(注:最後の歌には一つ間違いがあります。と云うのは、私は未だに"業を終えて"おらず、今も某教会で修業中の憐れな身なのですから)。

さて、私たちには必ずと云っていいほど、今は天国におられる誰か一人か二人に是非とも再会したいと切に願っている方がいることでしょう。話したいことが山ほどある、子供や孫はこんなに成長したのよ、もうしばらく待っていて下さい・・etc。毎日のように、或いは折りに触れては思い出し、決して忘れ得ぬ方々がおられると思います。私たちは互いに、死によって永遠に別れてしまったのではありません。人間は皆、両親の愛を通して"神のいのち"をいただいたのです。何千年、何万年と・・親から子に、子から孫にと・・脈々と神のいのちが続いているのです。すべて神によって永遠に救われる命なのです。本当にありがたいことです。いつか天国で、真実な"満開"を迎える命だと信じています。聖パウロも信仰告白をしています。「人間は、(神からの)宝をこの土の器に納めています。・・(それは)死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるためです。・・私たちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」と(コリント後4章)。人間は"外なる人"が衰えて行くとしても、"内なる人"は日々新たにされ・・永遠の命に生かされて行くのです。滅び行く此の世の命と共に、永遠に救われていく命を生きているのです。私たちの信仰の中心である"主の復活"を黙想したいと思います。愛する人々との再会を切に祈りながら・・。

桜井神父

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