私たちはどのような「道」でしたら、イエスの生き方と呼びかけをもっと積極的に応えることができるか、今月の祈りの中で下記の3つの「道」を考察しましょう。
第一の道は、平和のうちに主なる神を見出し、救いを得るために、獲得したものへの執着を取り除きたいと望んでいるが、「死ぬまで何もしなかった」ということです。ここでは、神に従う意思は行動にまでは何の影響も及んでいません。
第二の道は、執着を取り除きたいが、おそらくそれらの富を持つのは神が望んでおられるだろうと合理的に思って、獲得したものはそのまま持ち続けています。
第三の道は、執着を取り除きたいという望みと共に、獲得したものを保つか保たないかということに対しても、偏らない心を持っています。望むことは、ただ一つ、神が心を動かされるところに応じて、又、主なる神への奉仕と賛美のためによりよいと思われるところに従うことです。したがって、何かを受け、また捨てる動機は、主なる神によりよく仕えることができるようにという望みだけです。
【聖書の参照:イエスの問いかけは強制や命令ではなく、むしろ自由な呼びかけである。
単なる義務感で従うことはあまり意味がない。イエスの呼びかけに自由と愛をもって応えることができるかどうか。】
弟子の派遣(ルカ9:1-6)、金持ちの青年(マルコ10:17-31)マルコ8:31-38、ルカ18:18-30、ルカ9:57-62、マタイ6:24-34、フィリピ3:7-16