「あら海や佐渡に横たふ天の川」(芭蕉)という陸海空を包み込むかのような雄大な俳句もありますが、聖書の冒頭はさらに荘厳かつ深遠です。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。・・天の下の水は一つ所に集まれ・・そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた」(創世記1章)。私は幼少の頃、喘息のため夏にはよく海に連れて行かれ日光浴をしていた。誰かが迎えに来てくれるまで、昼から夕方までは浜辺で一人過ごした日もあった。水内際で砂山を作ったり、貝殻を拾ったり、沖ゆく船をあかず眺めたり、薄べったい石を見つけては水面スレスレに飛んで行くように投げたりした日々がなつかしく思い出される。その後、"浜辺の歌"や"浜千鳥"が大好きになった。♪♪あした浜辺にさまよえば、昔のことぞ忍ばるる・・♪♪
青い月夜の浜辺には、親を探して鳴く鳥が・・♪♪ 終戦直後で幼稚園には行かず読み書きも遅れていたが、海で学んだことは多かったかも知れない。寄せては来る波の音、大波小波、その度に砂浜がまっさらになるかのように引いて行く波、水面を飛び交う海鳥たち、浜辺で見た人々の光景・・沢山のことが私の心に焼き付いている。21世紀は地球から宇宙へ他の惑星へと関心が高まっているが、海中海底にもまだまだ神からの贈り物があるのではないだろうか。♪♪海は広いな大きいな・・♪♪ 海は世界の全ての国につながっているのだ・・とも教えられた。学生の頃には、家族や友人と淡路島に出かけるのが嬉しかった。ぼんやりと海を眺めているのが好きだった。地平線の彼方には何があるのだろうか、と考えたりもした。子供ごころに、広々と拡がっている大海原に抱(いだ)かれているかのような、安らぎの時だったのかも知れません。
司祭になって間もなく、1年間フィリピンに派遣された。マニラから小舟で2日間ライ病者の島に向かう航海の途中、大きく真っ赤な太陽が目の前にあり、海面も真っ赤に染まっていた。赤道直下の日没だった。熱い太陽が、恰も冷たい水の中にジューと音を立てるかのように水平線に沈んでいく光景は、人間存在を圧倒する程の壮大さであった。私は唖然としたまま、大自然の魅力にとらわれて言葉を失ったことを覚えている。しかも数分のうちに辺り一面は真っ暗になり、その後は月と星だけに頼る心細い航海になった。大自然を前にして、人間存在は如何にも小さかった。その美しさは人間の力では到底創り出せない神秘そのもののように思われた。昔々、明恵上人は満月が真っ赤に輝いているのを見た時に呆然とし、宇宙の神秘と魂の感動をそのまま叫びにしたのではないでしょうか。「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」
海に関して、夏目漱石は次のようなことを何処かに書いていたと思う。「一滴一滴の雨や川の流れが海に流れ込み、大海となる。一人一人の人間が救われ成仏するのは、水滴が集まって大海になるが如し」と。この表現では汎神論的な救いになるが、遠藤周作の表現は聖書的であると思う。「死というものは、多分海みたいなものだろうな。入っていくときは冷たいが、一旦入ってしまうと海は"永遠の命"の海で、その海には陽光がきらめくように、愛がきらめいている・・」と。二人の文豪は、海への深い郷愁を通して人間の救いに心を馳せているようだ。「・・ひねもす海に向かえば、わが胸はあやしく憧れてくる。ああ海のやわらかいスイートないざないよ」(八木重吉)。詩人は海をやさしい神の招きのように体験したのだろうか。人は誰しも心のふるさとを持っていますが、そこに帰り着くまで、真のふるさとに抱かれ憩うまで、求め求めて旅をしているのかも知れません。聖書の最後は次の通りです。「私は、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった(天地万物は過ぎ去っていくが)。・・見よ、神は人と共に住み、人は神の民となる」(黙示録21章)。
桜井神父