[心を尽くして神を愛しなさい] イエスは旧約聖書・申命記6章を引用し、最も大切な第一の掟として「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マルコ12章)と教えられました。旧約の源泉は次の通りです。『聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』。そして、具体的な教えが続きます。『今日私が命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っている時も道を歩く時も、寝ている時も起きている時も、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい』と。イスラエル(即ち、神の民)が宗教国家だったとは言え、日々の生活の隅々に至るまで神様を大切にしてきたことは、現代人には驚くべきことではないでしょうか。私達は神様のことを毎日子供に繰り返し教えたり語り聞かせていないばかりか、自分自身がどれ程神様をおろそかにしているかと云うことに気付かされます。紙に書いて手や額に付けるのが恥ずかしければ、せめてお風呂や洗面所に貼っておくのは如何でしょうか。門柱や表札に、「心から神を愛する○○太郎・○○花子」と一筆書き添えておくのは如何でしょうか。家風が一段高くなり、来客や道行く人も喜ばれるでしょう。勿論、心の中に深く刻んでおかれるだけでも良いでしょう。日々神様を意識し心に留めることによって、毎日の生き方に大きな違いが生じてくると思います。
ところで、旧約時代に神は「熱情の神(ねたむ神)」(出エジプト20章)として現れてきます。神と人間が婚姻契約で結ばれているかのようです。即ち、神は忠実な夫として、妻である人間をこよなく愛して下さるのですが、気の多い人間は神以外のもの(此の世の偶像)にしばしば浮気してしまうので、神は熱い心で嫉妬するのです。これ程人間を愛しているのに、どうしてお前達は私を愛してくれないのかと。よくよく考えて見るならば、私達は例外なく、神様から命をいただいたのです。両親の愛を通して神の命を頂いたから、今の私があるのです。日々神様に許され、救われているのです。神様は私の大恩人どころか、生みの親・育ての親なのです。神様なしには、私の存在も私の人生もありません。
それでは、"心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、神を愛する"とは一体どういうことなのでしょうか。人間として、神様を直接愛することが出来るのでしょうか。出来ると思います。確かに、神様は取りつくしまのない方であり、捉えがたい神秘です。しかし、植物・動物でさえ各々の命を謳歌しながら、創造主である神を賛美しているのです。花々の美しさは、さまざまな色と形のままに、そのままで神様の美しさを十二分に表現しているのではないでしょうか。しかし、人間は植物・動物と異なって、自ら意識的に神を愛することが出来ると思います。即ち、@祈ること・・・毎日どんなに忙しくても、或る時間神様のことだけを考える。他にしたいことが山程あっても、今この貴重な時間を神様のためだけに使うことです。また、座っている時でも歩いている時でも、ひとこと神に祈ることは出来るのではないでしょうか。A自分を捧げること・・・日々の生活と働きを自分のためではなく、神様の栄光と賛美のためにと云う意向をもって捧げる。神様のために働いていると思う時、心が弾んでくることでしょう。B感謝する・・・全てのことを神様の計らいとして受け止めてみる。病気や試練さえも神様に感謝する奇特な方もあるほどです。某師曰く、"神様に出来ないが、人間には出来ることが一つある。即ち、神が神ご自身に感謝することは出来ないが、幸いにも人間には出来ることである"と。神様も私達と同じように、感謝を受けることは大きな喜びだと確信します。ミサが「感謝の祭儀」と呼ばれるように、私達は毎日一緒に、神様に感謝を捧げているのです。
桜井神父