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主任司祭より(10月)

[説教案―(9)子育て]現在の教育制度には週休2日制、ボランテイア活動導入、偏差値、絶対評価等の新しい動きがあり、他方では学習塾、携帯電話、インターネット等が学生の間にも猛スピードで普及しました。教育に携わる先生方の努力や家庭で子供に接するご両親の心使いは並大抵なことではない・・と頭が下がります。確かに、知性・情緒・体力そして健全な判断力等を身に付けることは、これからの難しい時代を生きていく子供達にとって大切なことだと思います。しかし、一昔前とは質量の異なった情報や可能性が氾濫しているため、また小さい時から競争社会に放り込まれているために、人格的な成長、例えば人生の決断や責任感・協調性等は10年くらい遅れていると言われます(私の場合は未だに甘えん坊なので、成長が止まったケースかも知れません?)。今、子供の人格全体がすこやかに成長していく上で欠かせないのは親子の絆、友情、遊び、読書等の課外面にあるのではないでしょうか。

まず幼い子供にとって、「おとうさん」「おかあさん」(或いは、パパ、ママ)と呼びかけて、「ハイ、なーに」「ハイ、ここにいますよ」と答えてくれる人は、この広い世界にたった一人しかいないのです。その言葉のやりとりは、親と子の一体感を心のすみずみにまで浸み通らせていくのです。両親の名が何であれ、世間的に如何なる名前であれ、子供にとって真実な呼名は「おとうさん、おかあさん」でしかないのです。その名を持つのは世界中でたった一人の人であり、その呼名は血を分けた親と子を一つにする深い絆を与えていくのです(石井桃子著「ノンちゃん雲に乗る」と奥村師解説参照)。子供はその絆の中で、親の愛が如何に尊いものかを学んでいくのだと思います。故あって生みの親より育ての親という場合もありますが、誰にとっても「お父さーん」「お母さーん」と呼ぶ方は永遠に一人だけでしょう。子供に信仰心が育っていくのは、家庭や教会で祈っている親の姿を見ることから始まると思います。逆に、「子供が手を合わせて無心に祈る姿ほど美しいものはない」と言われるように、親が子供に教えられる場合もあるでしょう。親と子の絆は愛と信仰によって結ばれていきます。(テレビ報道によると)本年夏12才の女の子が白血病と闘いながらも、病気の子供達を励ますためにと描いた絵本『一番大切なもの』が彼女の死後出版され、全国の小児病棟に寄贈されました。闘病の苦しみと死の哀しみを乗り越えた親子の愛と他者への愛がなさしめた偉業だったと思います。

さて人間は何歳になっても、遊びたいのです。しかし現代は、大人も子供も忙し過ぎるのでしょうか。子供達が集まって遊んでいる姿や、道端でお父さんと子供がキャッチボールをしている姿を殆ど見かけなくなりました。心理学では、子供が“遊ぶな・泣くな・負けるな・勉強しろ”等と叱られ自分を極度に抑えながら育っていくと、また親の愛に受け止められないで大きくなると、「涙をタンク一杯にした大人になる」と言われます。途中で涙が一度に溢れ出る(切れる)場合や、大人になって少しずつ涙を出していく(皮肉や悪口等の)場合もあるでしょう。勿論、困難なことに挑戦する原動力になる場合もあると思います。人間は悔し涙をいつまでも内面に蓄えておれず、何処かで無念を晴らそうとするのかも知れません(私は50年もタイガース・ファンなので、その気持がよく分かります。こん畜生! 今に見ていろ・・)。最近の精神科医国際会議によれば、「現代人の苦悩の主な原因は、嫉妬・恨み・お金やモノへの執着である」と言われます。即ち、人間は競争社会の歪みをもろに受けてしまうと、ついつい他人の富や才能を妬んだり、些細な事で人を恨んだり、自分は目立ちたい・評価されたいともがいてしまうのです。そして、苦しみの原因が自己の内面にあることを気が付かないまゝ、信仰によって自己中心を乗り越えようとしないまゝ、ストレスの中に留まってしまうのです。確かに、人間の成長には時間がかかります。子供達が“愛する人・信じる人・仕える人”に育っていくように祈りたいと思います。もし子供を真に愛するなら、本当に子供のためを思うなら、まさに人格的成長こそ最優先すべき課題であり、神様の切に望んでおられることだと確信します。

桜井神父
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