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武庫神父様追悼特集 |
武庫神父様の想い出 武庫神父様が主任司祭になられた時のことです。日頃から神父様は厳しい方と伺っていましたので、私は勤まらないとあきらめていました矢先、ある神父様が「イエズス会の中で武庫神父様のような心の優しい神父はいないよ」と励まして下さいました。今まで躊躇していた自分が恥ずかしくて再度勤めさせて頂きました。 神父様の規律正しさは朝の挨拶から始まります。朝九時「おはよう」夕方五時「さいなら」と暖かい神戸弁で元気づけられました。神父様のドアのノックには特徴があり、リズミカルでユーモアたっぷり、すぐに神父様とわかります。時折少年の様な心の清さに打たれる事もあり、司祭としての聖さを垣間見せて頂きました。特に心に刻まれている事は、神父様がミサをお捧げになって香部屋に帰って来られた時のご様子です。先ず十字架に一礼され、祭服をキチンとハンガーに掛けながらの一言が心にしみます。主と共に捧げられたミサの喜悦と感謝の心の余韻が伝わって参りまして、私まで満たされた心になりました。私をねぎらうかの様な慈しみに満ちた笑みは忘れることができません。本当に優しい神父様でした。旧聖堂は冷房がなく、夏は神父様にとっては大変でした。汗でストラーまでビッショリになられ、氷のオシボリをことの他お喜びになり、冷蔵庫からセッセと運ぶ事が楽しみでした。聖週間が近づきますと、復活のローソクに細心の注意を払っておられました。几帳面で曲がったことの嫌いなお人柄が伺えます。ドイツに旅立たれた時の紺のスーツに紺と白の絞りのネクタイはとても品よく、ダンディなお姿でした。 最後に悲しい想い出もあります。故エリザベット様(神父様のお妹様)がお亡くなりになられた時のお手紙を読んで下さった時は、悲しみに心が痛み、共に涙しました。今は仲良しだったお妹様と天国で再会なさっておられることでしょう。武庫神父様のお優しい心と慈愛に満ちた笑顔は私の心に焼きついています。本当に有難うございました。どうぞいつまでも天国から見守って下さい。(大西) 武庫神父様を偲んで 1月中旬に足の腫みが強く、約2週間の予定で入院治療を受ける事になりましたが、入院が長びき、退院を待ち望んでおられました。ドクターから外出の許可が頂けるようになり、外出された時は「遠足に行く」といって大変喜んでおられました。4月中頃、六甲学院、六甲教会を廻られた時はツツジや藤の花が美しく咲いていて、また数人の信者の方々の歓迎を受けて喜ばれ、「退院を考えよう」と張り切っておられた矢先に骨折されたことは、本当に残念なことでした。神父様は2度の手術を希望のうちに受けられましたが、その後、お苦しみの日々を過され、5月20日朝、病院職員、教会の方々の見守る中で静かに天の御父のもとに旅立たれました。 武庫神父様、長い間六甲での宣教の日々をありがとうございました。これからは神様の御許で私たちを見守り、励ましてください。 武庫神父様の思い出 音楽にも堪能で、ワンマンオーケストラで楽しませて下さったこともありました。最後のクリスマスにはイエズス会レジデンスで、故郷の言葉で「聖夜」のオリジナルを聞かせてくださった歌声を忘れることができません。 何事にも一途に励まされ、幼児のような笑顔で迎えてくださった神父様に、またお会いしたいです。 日本ではキリスト教は堅苦しいものと思われているが、この感じは間違っている。ただ人間として守らなければならないことがある。これを無視して自分の都合ばかり考えるようになったら、この世の中は地獄に変わる。 大自然は神様が人間に与えて下さったお恵みである。生き物を不必要に苛めたり殺したりすべきではない。むしろ大切に接すべきである。イエズス様も、空の鳥や野の花をも愛しておられたのである。 |
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