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「敬老の日」と「ご聖体の年」

 9月に入っても厳しい暑さが残り、体はまだ夏の疲れから回復していないかもしれませんが、秋に向かって元気が戻るよう、皆さん一緒にがんばって行きましょう。今月は「敬老の日」をお祝いします。私も74歳になりましたが、年をとることを神さまに感謝して、いくつになってもお祝いしていきたいと思っています。

 今年は故ヨハネ・パウロU世の宣言により、「聖体の年」です。ヨハネ・パウロU世ご自身がご聖体を大切にして、ごミサを捧げている姿を思い出し、感動しています。また、ご聖体の前で祈られる姿は我々にとても深い印象を与えました。ご老人の霊性を考えると、ご聖体を中心に生活することは大きな力であると思います。ご聖体の中心はごミサです。ごミサは、イエス様とともにパンとぶどう酒のもとで、十字架上の生け贄を捧げ、その生け贄をより深く生かすことです。ごミサに与るということは決して受身的なことではなく、自ら積極的に参加することです。積極的に参加するということは、年齢や体力とは関係ありません。大切なことはその心の奉献です。耳が遠くても、目がはっきり見えなくても、一緒に立ったり、座ったりすることができなくても、大切なことはごミサに参加して、みことばに耳を傾ける、意識的に心を捧げることです。力がある限り、みことばをよく聴いて、皆と一緒に心を捧げ、ご聖体を拝領する時は、手を高く上げて、大きな声で「アーメン」とこたえます。年をとってもそのくらいはできるでしょうし、それができるだけで素晴らしいことではありませんか。年をとったからといって、ごミサに参加できない、また参加しなくてもいいと考えてはいけません。一人一人が教会に来て、ごミサに与ることは共同体全体にとって大きな力になります。年をとっても、誰かの、また何かの力になることはすばらしいことです。

 個人的なことですが、ここで少し私の母の話を皆さんと分かち合いたいと思います。子供たちを巣立たせ、親の務めを果たした年老いた母にとって、一番大きな力になったことは毎日ごミサに与ることでした。幸いに教会が近く、平日のごミサも2、3回ありましたので、遅い時間のごミサに足を引きずりながらも毎日参加していました。歌うことを得意としなかった母は、静かにごミサに与っていたようです。母が亡くなって数日後、妹とレストランで食事をしていた時のこと、あるご婦人が私たちのテーブルにあいさつに来られ、お悔やみのことばをいただきました。その時、そのご婦人はこう言われました。「お母様と親しくさせていただいたわけではなかったのですが、毎日ごミサに来られている姿は、私にとって大きな励ましでした。たいへん感謝しております。」私は、なるほど、と思いました。母は派手な形ではなかったけれど、地味な信仰の証で人々を力づけたと。母が毎日ごミサに参加することは、他の方にとっても力だったようです

 皆さんも、年をとってきても、一人一人が共同体にとって大切な兄弟姉妹であることをどうぞ忘れないでください。これからも力がゆるす限り、一緒にごミサに参加して、授けられたご聖体の恵みを大切にして、生きるようにいたしましょう。

ジョン・オマリー神父

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